むかしむかし、今から150年以上も前のこと。
 この地方の代官 野沢折右衛門知栄は、
 村おこしのためお茶の木をたくさん植えることを村人に勧めました。
 しかし、番茶では農家の収入を増やす事は難しかったので、
 当時名主であった小林源三郎(小林芳香園初代)は
 京都宇治でお茶の栽培及び煎茶製造方法を学びました。

 そして文久二年(1862年)煎茶作りをはじめました。
 岡山での煎茶製造の第一歩となりました。

 慶応年間には、販売の研究努力の成果が上がり、生産量は少量でしたが
 神戸港よりアメリカ・イギリスに輸出をするまでになりました。
 明治40年には茶伝習所を作り、お茶の奨励・指導に励みました。

 こうして文久二年の創業以来、百四十余年。
 江戸時代の頃より、「みまさか海田のお茶」は
 地元の皆様に愛され続けています。

 

BAN1.JPGこの番茶は、機械で作った番茶とは違って、お陽さまのにおいがします。自然の恵みいっぱいの手作りの番茶だけが「美作番茶」と呼ばれています。

BAN3.JPG土用の暑い日(7月中旬〜8月中旬)枝ごと刈ったお茶の葉を大きな鉄釜で蒸すように煮ます。
 

BAN2.JPGむしろの上に、煮たお茶を広げて煮汁をかけながら太陽の光で干します。煮汁をかけて天日で干した番茶は、あめ色に輝いています。